インスタレーション『ABITA』@JINNAN HOUSE
Artist talkⅠ_空間を創る、両極を混ぜる、そして境界線を溶かす
【聞き手=安藤誠/LAND FES 2022年2月15日、渋谷JINNAN HOUSEにて】
---- まず初めに、奥野さんから、これまでの創作活動の中で『ABITA』をどう位置づけられているのかついてお話いただきたいと思います。去年から映像の撮影も含めてずっと準備をしてこられたわけですが、さらにそれより前からも今回の企画に至る流れみたいなものがあるはずなので、それを語ってもらえれば。
私はもともと奥野さんとの関わりでいうと、最初はいちオーディエンスとして見ていて、それからLAND FESなどで制作側として関わっていくうちに、身体のモノ化というか、身体というものをラディカルに掘り下げていくことがアーティストとしての大きな領域を占めていて、必ずしもダンサーであることが究極の目的ではないのかもと思えてきたんです。むしろ奥野さんにとってはダンスというものが、本当にやりたいことを実現するための手段なのではないかと。昨年沼津での写真と映像撮影の現場に立ち会わせて頂いたときにも改めてそんなことを感じたのですが、いかがでしょうか。
奥野 まさにそのとおりです。ダンスは3歳から始めたけど、上手な人が周りにいっぱいいる中で、全然上手じゃないという自覚を持ちながら育ったから、ダンスでは誰にも負けないぞとか、そういうのが全くなくて。むしろ、人がいないところで一人遊びをしながら、体を動かしたり集中したりする時間が好きでしたね。物心ついた頃には、観られるということにはすでに苦手意識があったんです。発表会とかやるともう、ライティングが自分に当たってお客さんは見えなくなるし眼は潰れそうになるし、前も後ろもわからないままで、12年間くらい発表会が怖くて怖くて。終わったあと毎回挫折を繰り返すという、極度の緊張体質だった。
人に見せるダンスよりも、生活を忘れるためのダンスというか、非現実に行くために、自分の身体が解放されている状態、それがすごく好きだったんです。それもあってダンスにスキルというものをそもそも求めてないし、持っていないことも最初から分かっていたので、なにかを創ることの方が自分にはしっくりきていました。実際、絵を描いたり図工とかがいちばん人から褒められたし。自分にとって「これを持っている」と思えたのは、ダンスより創ることだったんですよね。創ることだったらできるんじゃないかと思えた。
自分の中でダンスに火が付いたのは20代前半です。大学卒業を控えて、さてこれからどうしようかなと考えたときに、まずは一番長くやっているものを突き詰めてみたいなと、3歳からやっているダンスを選んだんだけど、ダンス活動をしている中で脚を骨折してしまって。手術して動けなくなったときに、ふとニューヨークに行こうって思ったんですね。
行ってみて、何かだだっ広い倉庫でやってる映像作品とか観たときに、即座に「これだな」と。私は空間を体感することがすべてで、それに感動してるんだなということがわかって、それをきっかけに空間創りを始めるんです。じゃあそのときに、自分の持っているマテリアルは何?と問い直したときに、それがダンスだった。「ダンス・空間」をテーマとして、映像、振動、音、そういう類のエフェクトを取り込みながら、観てる人と一緒に共有する、それを自分がやってきたダンスを礎にしてやってみたいというのが始まりなんですよ。それを「ダンス作品」と言われるのには少し違和感がある。アウトプットする場に合わせて寄せている部分はあるのかもしれないけど、これまでやってきたこと、これからやろうとしてることと全く変わらないというか、私自身は何も変わらなくて、一貫して空間創りをやろうとしてるんです。
---- なるほど。でもそういった奥野さん独自のスタンスが、逆説的に奥野さんのダンサーとしてのあり方を際立たせているようにも思えます。総合的な芸術作品を目指しているとしても、ダンスという軸があるからアーティストとしてのアイデンティティも成り立っている気がする。そういう意味では今回の『ABITA』も、空間という視点から捉え直した、先鋭的なダンス作品と捉えることもできるんじゃないかと。だから今回参加されている、それぞれ音楽、映像など専門分野を持っておられる皆さんが、奥野さんの今回の作品にどのようにアプローチするのか興味があります。
奥野 そうですね、みんながどう思っているのか気になる。この説明できない作品について。私自身は何かのジャンルに落とし込まれる、ってことに全く興味がなくて、空間を創ろうとしてるだけなんだけど、ダンスでもあると言われたら、それは人それぞれでいいんじゃないかと。みんなこれをどう捉えているのか、ぜひ聞いてみたいですね。
---- もう一つ、奥野さんの作品でずっと共通した志向として、収まりよくきれいな作品に見せたくない、何というか、ダーティーなもの、得体の知れないものを取り込んでいこうという意思がすごくあるように感じるんです。それも逆説的なんだけど、結果的にそれがあるから美しいものになっているというか。
奥野 それはあるかもしれないですね。自分の性格を自分で説明するとしたら「両極の混在」なんです。全く違うものが同時にあるんですよ。それがすごく大変だし、嫌なんです。いっぱいいっぱいになるし、いつも自分が自分に振り回されて。でもそれはしょうがないし受け入れなくちゃいけない。やっぱり美しいものだけだとリアルじゃないというか、私が思うリアルじゃない。私自身がそういう性格だから。対極がないとだめっていう。
---- 対極のものを持ってきたり、引き算したりとか、そういうことが際立っていると感じます。以前LAND FESのプロデュースで制作した、SHIBAURA HOUSEでの映像作品に出演してもらったときも、収録現場で傍から観ていて、こんなに踊らなくて成り立つのかなと思ってたんです。でも実際作品になってみると素晴らしいんですよね。やっぱり空間との関係性とか、最終的な絵がこの人の中では最初から見えているんだろうなと思いました。
奥野 あのときは映像作品だったから、踊る必要はないと分かってました。演劇作品や映画に携わる機会が多くなってきたので、徐々にそういう志向になっているということもありますね。
---- 要素をミニマムにしていく、対極なものを持ってくるということが普遍的なテーマとしてあるということですよね。そのあたり、皆さんどういうふうに感じておられるのか、それぞれ伺っていきたいと思います。まず藤代さんから。
藤代 僕たちの共通の考えというのは……『ナチュラルハイ』という本があって、その中で「モノと人間の境目がない」ということを説明しているんです。たとえば魚を食べたときに、どこまでいったら魚と人間が一緒になるのか、消化して栄養になったら魚と人間が一緒になるのか……そういう境界についての認識が二人の間に共にあって、そこからいろいろなことが始まってるような感じがしてて。
奥野 最初に作った作品が、「ハイライト オブ ディクライン」という作品なんだけど、それは…人間の話なんですけど、朽ちていくという“現象”だったんですよ、やりたいことが。人間が人間の力で朽ちていく。そういう現象を、音から聞く感じでみんなが崩れて行くような状態にしたり。思うんだけど、人間というのは、人間は逃れられないの。否定してるわけじゃなくて全く、人間は大好きだし、人間であるし、それを否定してモノが大好きって言いたいんじゃなくて、境界がそれこそないっていうか、どっちも消せない。だから今回やるようなモノに着目してモノだけ使えばいいんじゃないっていうのも、私は違うと思う。それは自分を受け入れてない、ていうか、人間であることを受け入れ続ける行為でもあるんです。モノに着目するっていうのは。
---- 資料の中には、人間が過剰になりすぎたことへの疑問みたいなものもありました。
奥野 人間が地球にとって、割合が多いなというのは正直思います。モノが先輩だし、先に生まれたのはモノという現象だし、人は後からだから。そのバランスがよくないと崩れるときは崩れるし、そういうことに取り組んでいきたい自分がいる。バランスを取りたい、人間代表として(笑)という気持ちはあるけど、でもそれをやろうとすると難しい。きれいごとっていうか。
---- 3.11とかコロナウィルスがそういうアプローチへのきっかけになったという話もありましたね。
奥野 パンデミックになって、人と会わずにずっと家にいると、たとえば家具とか、モノに対しての解像度が上がっていったのは本当で、自分の身近なモノとしゃべるのは楽しかった。今までやっているようで、ちゃんと着目していなかった。
---- 人と会えない期間も、楽しかったと感じたんですね。
奥野 楽しいですね。もっと近づきたいし、もっと一緒になりたいし……。人と近づくのと同じように、モノでも同じくらい暖かさとか冷たさとかを感じたいし。(興味の)対象がモノに近づいたんじゃないですかね。
藤城 もともと一番最初にやったのが、祖師谷大蔵のムリウイで、そこでは完成品を見せるんじゃなくて、完成品に行くまでの過程を見せるのが目的だった。何かができるまでが一番楽しいというか大事な瞬間なんで、そこを見せたいなっていうのが出発点だった気がします。
奥野 それは沼津での映像収録にもつながるよね。沼津の撮影ではモノにもっとフォーカスしてやっていこうというのがあって、それが今回のインスタレーションにつながる。私もモノを撮ろうとしてモノだけ撮ってたんだけど、プロセスというか、動いてるスタッフさんが予想以上に面白かった。みんなしゃべらずにモノを移動させたりとか、無言で40分×3回ずーっと動き続けるとか、そんな形で成立するのがすごく面白かった。どんどん景色が変わっていくし、空間彫刻・空間ドローイングみたいなことになっていてて、モノで絵を書けてるみたいな感覚があって。そういう流れが今回につながっています。
---- あのクリエーションの現場は独特でしたね。普通はきっちり役割を固めて動くものだけど、そういうことなしにちゃんと動いてる。
奥野 でも疑問も出ましたよね。映像の磯村さんも、何が正解なんだろうっていう思いはずっと持ってて、私はその問いかけのエネルギーそのものがすごく好きで。何を捉えればいいんだろうっていう疑問が、彼からすごく発せられいて、それ自体が正解だって思ったし。何をやりたくていま自分はここにいるんだろう、っていうフラストレーションがある中で動く。それしかないって思うんですよね、人生も(笑)。だからリアルなんです。
---- シーンを撮っているだけじゃなくて、麻旅子さんは麻旅子さんで川で何か撮ってるし、磯村さんは磯村さんで別々のことをしてるんだけど、ちゃんと作品の要素になってるんですよね。話がそれましたが、あの沼津でのクリエーションをやることになったきっかけは?
奥野 2020年に祖師谷大蔵で開催した『ABITA』(https://www.miwaokuno.com/japanese/works-nakice-n-k/abita/)を、もっとモノに着目した、モノのビジュアルに寄せた形にして、映像と写真の作品を作ろうと思ったんです。祖師谷大蔵ではその時住んでいたマンション名の“アビタ(=生息)”をタイトルにして、自分たちの家にある家具を移動させてきて、一緒に滞在するというのをやったんだけど、(自分たちが)場所を移動してもできるんじゃない、って話をして、他の場所に移動したモノたちと関わるようなプロジェクト化ができるんじゃないかと。どこに行っても成立する文脈があるんじゃないかと思ったんです。だから沼津のときが沼津バージョン、そして今回が渋谷バージョンという、そういう感じですね……。さっきも話が出ましたけど、皆さんにとってこのプロジェクトがどう見えてるのかというのを、私からも聞いてみたいですね。
______talk Ⅱに続く
聞き手|安藤誠
フリーランサーとして広告・イベントの企画・制作を手掛けるほか、音楽、映画などの分野で執筆。街をツアーしながらダンサーと音楽家の即興セッションを楽しむイベント『LAND FES』(https://landfes.com)ディレクター。